暁生が、ディオスだった頃 | 決闘は行われていた?行なわれていたとしたら、その目的は? |
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ディオスがウテナへ、薔薇 の刻印を渡した頃 |
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薔薇の刻印の掟、絶対運命 黙示録 |
とは? |
封印された筈の、ディオス | ウテナへ薔薇の刻印を、なぜ、渡せたのか? |
エピソード | コメント |
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第6話 伝説の雄鹿 |
「質問。君はいかにして今日遊びに行く場所を決定した?」「で俊夫。犯罪計画がばれちゃったんだけどおとなしくお縄を頂戴する?」小学生らしからぬ優の台詞 |
第13話 鏡のむこうのマミ |
木所の台詞「タレントを自由にするのはマネージャーの腕ですよ。腕」の直前で言葉狩りあり。「永遠のワンスモア」の早川愛の声優、松井菜桜子が偽マミの声優として登場 |
第17話 時のねむる森 |
「優のクリィミーマミ」が初めて挿入される |
第18話 ざしきわらしの冒険 |
ざしきわらしと第1話のピノピノの声優は間嶋里美。第27話以降のピノピノの声優は中野聖子 |
第19話 マミの一番長い日 |
「BIN☆KANルージュ」が初めて挿入される |
第20話 危険なおくりもの! |
カメラワーク、カット割り、絵コンテがいい |
第23話 星のパラソル |
スネークジョーの台詞「パルテノンプロに何か義理でもあるのかよ」の直前で言葉狩りあり |
第24話 クマ熊オーディション |
北海道600`bの標識あり |
第26話 バイバイ・ミラクル |
マミを中心に回るカメラワークが第50話と同じ |
第28話 不思議な転校生 |
日高守の声優は第49、51話のみ鈴木れい子。それ以外は神保なおみ。最後にかたひざをつくルミナスターを使った変身。ちなみにルミナスターはコンパクト収納時はステッキで、コンパクトから飛び出すとルミナスターに変わる。「LOVEさりげなく」が初めて挿入される。これ以降第52話エンディングを除き、第51話まで後期オープニング、エンディング。前期との違いはオープニングでステージカーがDJブースに変わる。エンディングは「パジャマのままで」から「LOVEさりげなく」に変わっただけではなく、ゲストキャラの声優も毎回明記し、徳間音楽工業から徳間JAPANに変わる。阿部司の尻を振りつつ三日月を見ながらマミが後姿で歌うエンディングが好き。白黒のチェス盤みたいな床は「KEY THE METAL IDOL」のオープニングに影響を与えたと個人的に思う |
第29話 ロープウェイ・パニック |
なぜか、衣装合わせの時のミニスカートをロケで着ない |
第30話 前略おばあさん |
ルミナウォークが初登場。イエイ。本郷みつる演出 |
第32話 二人だけのバレンタイン |
優の俊夫宛てのチョコを俊夫に届けたミドリの辛さ |
第35話 立花さん、女になる!? |
最高の笑えるドタバタ劇 |
第36話 銀河サーカス1984 |
1991年、17歳の優にペーターは再会する |
第38話 ときめきファンクラブ |
ネガの台詞「マミも金と権力に弱かったのか。こいつだけは違うと思ってたのに」 |
第43話 走れ優!カメよりも速く |
未来の優の結婚式が見れる |
第46話 私のすてきなピアニスト |
めぐみの詩の朗読シーンで第52話のピアノ曲が挿入される。ピアノで「LOVEさりげなく」 |
第47話 マミのファーストキス |
立花のめぐみビンタブロックが初めて成功する。ブルーメアリの伝説。魔法で動いた龍が最初に城田を助けたのは? |
第48話 優とミドリの初デート! |
優の台詞「来てくれるかな?」 |
第50話 マミがいなくなる… |
立花のめぐみビンタブロック2回目が成功する。マミがトンガリ王国王子に誘拐された後のホテルで第52話のピアノ曲が挿入される。この時のカメラワークは第26話と同じ |
第51話 俊夫!思い出さないで |
公衆電話で両親に言い訳するマミがかわいい |
第52話 ファイナル・ステージ |
「美衝撃」「囁いてジュテーム」「パジャマのままで」が初めて挿入される。俊夫の台詞「優がクリィミー」優の台詞「優は優だもん」のシーンで流れるピアノ曲が好きだ。「永遠のワンスモア」の早川愛がエンディングに登場する |
サイプ |
PPORです。もうちょっと細身のほうが、よかったんじゃないのかなぁ、と思いました。それにあの帽子とコートじゃあ、ロボット刑事Kです(^^; マエストロが、作ったモノではないのでしかたがないとは思いますが。 |
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ゲル |
サイコキネシスの源が、人間、誰もが持っている、ピンク色のゼリーの様な物質だという、設定は斬新ですね。3万人分のゲルで最後は、 厨川さくらを生き返らせると思っていました、、、 |
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吊木光 | キレてます。完全に変人です(^^;あれだけ、ゲルを抜かれて生きているとは、おそるべし。 | |||
キィ |
キレてます。完全に、変人です(^^;自分をロボットだと思い込み、あの作曲家と、波長があうとは。あれだけ、ゲル漬けになってて、 生きているとは。おそるべし、巳真兎季子(^^;自分の娘を裸にして、実験する様な博士の孫だから、しかたがないとは思いますが。 |
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キィのララバイ |
▼メッセージ.ver1 巳真兎季子です。 みなさんが、「キィのララバイ」と呼んでくれている子守歌のお話をしたいと思います。 この歌、本当の題名がわからないので、私も皆さんの様に「ララバイ」と呼ばせてもらいましょう。 「ララバイ」は亡くなった私のお母さん、巳真兎与子が、私がまだお腹の中にいた頃から私に聴かせる為に口ずさんでいた子守歌です。 そのことは、私が中学生になったばかりの頃に、おじいちゃんから思い出話として聞きました。 お母さんは、私を生んで、すぐ亡くなりました。 私を抱いたまま、「ララバイ」を歌いながら、死んでいったそうです。 歌を作ったのが誰かは、私にはわかりません。 お母さんなのかもしれないし、そうでなく別の人なのかも知れません。 もしかしたら、おばあちゃんが作ったのでしょうか。 それとも、もっと昔の、私やお母さんの、遠い先祖の一人が歌いだしたのでしょうか。 おじいちゃんや、おじいちゃんの助手の若木知葉という人は、聞いた事が無い歌だといっていました、 「これから生まれてくる私を思って、お母さんの口から自然に流れ出たメロディーなのだろう」 と知葉ちゃん(小さい頃から私は若木さんをこう呼んでいたのです)、 知葉ちゃんは言いましたが、実は知葉ちゃんもおじいちゃんも、「ララバイ」がどんな歌だったのか全く覚えていませんでした。 お母さんが「ララバイ」を歌ったのは、たった数日間でした。 しかもお腹の私にさえ、聞こえるか聞こえないかのとても小さなつぶやく様な声だったのだと言うのです。 二人の記憶に無いのも無理はありません。 それでも、それほど長くない歌詞、それも繰り返し、繰り返し、一日中歌っていたのだからと、 おじいちゃんも知葉ちゃんもなんとか思い出そうとしてくれたのですが、結局、無理でした。 私自身、赤ちゃんの頃聴いた歌を覚えてるはずが、ありませんでした。 でもその時私は本当は「ララバイ」を知っていたのです。 始まりから終わりまで、きちんと歌う事が出来たのです。 起きておじいちゃん達の話を聞いている私には、何もわかりませんでした。 体の中で眠っているもう一人の私が、死んだはずのお母さんと出会って、お母さんの口から「ララバイ」を聴いて知っていたのです。 それは、たしかに夢の中の出来事だったのかも知れません。 私が初めてお母さんに会ったのは小学校二年生のときです。 下校の途中で熱を出し、ようやくたどり着いた玄関先で意識を失った時、 体の中でもう一人の自分が目を覚まし、お母さんと会話をかわしていました。 顔も覚えていないはずなのにすぐにお母さんだとわかって、 はしゃぎまわる私をなだめるように様に、お母さんはその歌を静かに唄ってくれたのです。 私は小さかったし、お母さんの歌にあわせて口ずさむ事はできませんでした。 歌詞を鸚鵡返しにしたのをおじいちゃんがうなされてると考えたのも無理のない事です。 それからも何度か小学生の私は眠り、もう一人の私が目を覚ましてお母さんと出会っては「ララバイ」を耳にしていました。 眠ると言っても、皆さんの考える日々の睡眠とはちょっと意味が違います。 その頃の私は自分の事を「ロボット」だと考えていて、毎日一定の睡眠をとるという意識がありませんでした。 本当は寝ているのに、自分では眠っているつもりは無かったのです。 ですから、私が眠る時は、完全に意識を失った、ちょうど「頭と体のスイッチが切れた状態」を指しました。 つまり、いつ死んでもおかしくない、そんな時に、もう一人の私が目覚めるのです。 もちろん、何度もある事ではありません それからの小学生時代の四年間で四・五回私は眠り、目覚めて、お母さんの歌を聴きました。 お母さんとの出会いの場所は、いつも真っ暗でしたが、暖かかったり、寒かったり、雨が降っていたりしました。 遠くのほうにお母さんを見つけて私のほうからかけ寄ることもありましたが、 暗闇で途方に暮れる私にお母さんの方から声をかけてくれることもありました。 お母さんはいつも笑っていました。 お母さんが自分から「ララバイ」を歌うことはありませんでした。 決まって私が何度もせがんでから、ようやく歌い出すのでした。 今考えるとお母さんは本当はあまり「ララバイ」を歌いたくなかったのかもしれません。 三度目に会った時にはもう私は歌詞とメロディーの大部分を覚えてしまっていました。 突然歌い出した私にお母さんは目を丸くしていましたが、それでもすぐに苦笑と共に、合わせて歌ってくれたのです。 ところが一番が終わり、いつもの様に、もう一度頭から歌い始めた私を制する様にして、 聴いたことのない二番を、そして三番を歌ったのでした。 何だかよくわからない、ちょっと恐い歌詞でしたが、 幼い私にはその内容よりも「一刻も早く全部憶えて一緒に歌えるようにならなきゃ」、そればかり考え必至に耳を側立てたのです。 「ララバイ」の二番と三番はお母さんが亡くなった後に作ったものです。 私を生んだ時、おじいちゃんや知葉ちゃんの前では、それほど長くない一番だけを繰り返し歌っていたのです。 中学に入ると私は全く眠らなくなりました。 少しずつ体が成長して大人に成り始めたせいでしょうか、もう一人の私が目を覚ますことがなくなりお母さんとの出会いが途切れました。 再会は、それから何年も経ってから突然やってきました。 私が人間になろうと心に決め、東京に出てきて二日目の夜でした。 お母さんはとても喜んで、でもなぜか悲しそうに、「ララバイ」を歌ってくれました。 東京での、一月とちょっとの間に私は合わせて四回お母さんに会いました。 お母さんはいつもやっぱりどこか悲しげでした。「ララバイ」を歌う時はすこし怒っている様でした。 私は、初めて思いました。 「ララバイ」は本当に子守歌なのでしょうか。 その答えは私には出せそうにありません。 ですからまた、今度は私の方からお母さんに会いに行こうと思っています。 私の年は、もうすぐお母さんに追いつきます。 お母さんが今まで言えずにいた事、今の私になら話せそうな事、もしあれば、話してもらおうと思っているのです。 今、私は押しつぶされそうなほどの沢山の思いの中で皆さんの事を考えてます、 皆さんに分けて頂いた思いを、お返しする事はできそうもありません。 でも、皆さんがある日、もう一度、自分の思いに会いたくなったら・・・ その時は、ぜひお手伝いを、させてください。 山間の、小さな神社で、私は、長くなった髪を束ね、白い着物に、赤い袴で、みなさんを、お迎えしましょう。 その日が、きっと来る事を願って。 ありがとうございました。 ずっと、忘れません。 すべての、私のお友達へ。 キィより。 ▼メッセージ.ver2 巳真兎季子です、みなさんが「きぃのららばい」と呼んでくれている子守唄のお話をしたいと思います。 この唄本当の題名がわからないので私も皆さんの様に「ららばい」と呼ばせてもらいましょう、 「ららばい」は亡くなった私のお母さん「巳真兎与子」が私がまだお腹の中に居た頃から私に聴かせる為に口ずさんでいた子守唄です そのことは私が中学生になったばかりの頃におじいちゃんから思い出話しとして聞きました、 お母さんは私を生んですぐ亡くなりました、私を抱いたまま「ららばい」を歌いながら死んでいったそうです 歌を作ったのが誰かかは私にもわかりません、お母さんなのか、そうでなく別の人なのかも知れません、 もしかしたらおばあちゃんが作ったのでしょうか、それともっと昔の私やお母さんの遠い先祖の一人が歌出したのでしょうか おじいちゃやおじいちゃんの助手の若木知葉と言う人は聞いた事が無い唄だといっていました、 「これから生まれてくる私を思ってお母さんの口から自然に流れ出たメロディーなのだろう」と知葉ちゃん・・ 小さい頃から私は若木さんの事をこう呼んでいたのです、知葉ちゃんは言いましたが、実は知葉ちゃんもおじいちゃんも「ららばい」が どんな唄だったのか全く覚えていませんでした、お母さんが「ららばい」を唄ったのはたった数日間でした、 しかもお腹の私に聞こえるか聞こえないかのとても小さなつぶやく様な声だったのだと言うのです、 二人の記憶に無いのもムリはありません、それでもそれほど長くない歌詞、それも繰り返し、繰り返し、一日中唄っていたのだからと おじいちゃんも知葉ちゃんもなんとか思い出そうとしてくれたのですが結局ムリでした、 私自身赤ちゃんの頃聴いていた唄を覚えてるはずはありませんでした、でもその時私は「ララバイ」を本当は知っていたのです、 始まりから終わりまでキチンと唄う事が出来たのです、起きておじいちゃん達の話しを聞いている私には何もわかりませんでした、 体の中に眠っているもう一人の私が死んだはずのお母さんの口から「ららばい」を聴いて知っていたのです、 それはたしかに夢の中の出来事だったのかも知れません。 私が初めてお母さんに会ったのは小学校二年生のときです、下校の途中熱を出しようやくたどり着いた玄関先で意識を失った時、 体の中のもう一人の自分は目を覚ましお母さんと会話をかわしていました、顔も覚えていないはずなのにすぐにお母さんだとわかって、 はしゃぎまわる私をなだめるように様に、お母さんはその唄を静かに唄ってくれたのです、私は小さかったしお母さんの唄にあわせて 口ずさむ事はできませんでした、歌詞をオウム返しにしたのをおじいちゃんがうなされてると考えたのもムリのない事です、 それからも小学生の私は何度か眠り、もう一人の私が目を覚ましてお母さんに出会って「ららばい」を耳にしていました、 眠ると言っても皆さんの考える日々の睡眠とはちっと意味が違います、その頃私は自分の事を「ロボット」だと考えていて 「毎日睡眠をとる」と言う意識がありませんでした、本当は眠ってるのに自分ではちょうど「頭と体のスイッチが切れた状態」を指しました、 つまりいつ死んでもおかしくない、そんな時、もう一人の私が目を覚ますのです、もちろん何度もある事ではありません それからの小学校時代の四年間で四・五回私は眠り目覚めて、お母さんの唄を聴きました、 お母さんの出会いの場所はいつも真っ暗でしたが、暖かかったり、寒かったり、雨が降っていたりしました、 遠くのほうにお母さんを見つけて私のほうからかけ寄ることもありましたが、暗闇で途方に暮れる私にお母さんの方から声を かけてくれることもありました、お母さんはいつも笑っていました、お母さんが自分から「ららばい」を唄うことはありませんでした、 決まって私が何度もせがんでからようやく唄出すのでした、 今考えるとお母さんは本当はあまり「「ららばい」を唄いたくなかったのかもしれません。 三度目に会った時にはもう私は歌詞とメロディーの大部分を覚えてしまってました、突然唄い出した私にお母さんは目を丸くしていましたが、 それでもすぐに愚唱と共に合わせて唄ってくれたのです、ところが一番が終わりいつもの様に、もう一度頭から唄い始めた私を 制止する様に聴いたことのない二番を、そして三番を唄ったのでした、何だか良く分からない、チョット恐い歌詞でしたが、 幼い私にはその内容よりも「一刻も早く全部憶えて一緒に唄えるようにならなきゃ」そればかり考え必至に耳を側立てたのです、 「ららばい」の二番と三番はお母さんが亡くなった後に作ったものです、私を生んだ時、おじいちゃんや知葉ちゃんの前では、 それほど長くない一番だけを繰り返し唄っていたのです。 中学に入ると私は全く眠らなくなりました、少しずつ体が成長して大人に成り始めたせいでしょうか、 もう一人の私が目を覚ますことがなくなりお母さんとの出会いが途切れました。 再会はそれから何年も経ってから突然やってきました、私が人間になろうと心に決め、東京出てきて二日目の夜でした、 お母さんはとても喜んで、でもなぜか悲しそうに「ららばい」を唄ってくれました、東京で一月ちょっとの間に私は合わせて 四回お母さんに会いました、お母さんはいつもやっぱりどこか悲しそうでした「ららばい」を唄う時はすこし怒っている様でした、 私は初めて思いました「ららばい」は本当に子守唄なのでしょうか、その答えは私には出せそうにありません、ですから 今度は私の方からお母さんに会いに行こうと思ってます、私の年はもうすぐお母さんに追いつきます、お母さんが今まで言えずにいた事、 今の私なら話せそうな事、もしあれば話してもらおうと思っているのです。 今の私は押しつぶされそうなほどの沢山の思いの中で皆さんの事を考えてます、 皆さんに分けて頂いた思いをお返しする事はできそうもありませんでも皆さんがある日、もう一度、自分の思いに会いたくなったら・・ その時はぜひお手伝いをさせてください、 山間の、小さな神社で、私は長くなった髪を束ね、白い着物に、赤い袴で、みなさんをお迎えしましょう、 その日が、きっと来る事を願って、ありがとうこざいましたずっと忘れません、 すべての私のお友達へ・・・・きぃより。 |
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小話 |
僕が、一番洗脳されていた時に作りました。読んでやって下さい。 ゲルが切れて道端で倒れ苦しんでいるD そこへ今にも戻しそうなほど泥酔している蛇目王子登場、、、 D >ゲルーっ。はやくゲルをくれー 蛇目王子>なぁんだ。ほしいならはやくいってくんな よほど待ちきれなかったのか 蛇目王子の返事をさえぎる様にDは、蛇目王子の唇にむしゃぶりついた 蛇目王子>あ〜すっきりした D >むむぅ。色が違うし。酢酸系の匂いがずいぶんきついゲルだな 蛇目王子>なぁんだ。とうしろかよ。わしのは通好みのこがねいろ 蛇目王子>そこらじゃ拝めない特別製よぉ |