●酒鬼薔薇聖斗=真一郎(転載)

真偽は定かではないが、ネタとしては、面白いと思った。「酒鬼薔薇聖斗」
事件から、はや数ヶ月。「酒鬼薔薇聖斗」事件は既に、過去のものとなって
います。しかし、公開された情報は、事実のカケラにしかすぎませんでした。
「酒鬼薔薇聖斗」事件は、起こるべくして起こったのです。数年前、福岡で
起きた「美容師バラバラ殺人事件」を覚えていますか?全てはここから
始まったのです。美容室店長Aをめぐる三角関係のもつれという、
ありふれた事件でした。「美容師バラバラ殺人事件」の主犯の女が
逮捕されるとすぐに、遺体の裁断を手伝った男Bは、自殺しました。しかし、
地元マスコミは、Bの存在を取り上げませんでした。なぜか?Bが、
地元では有名なC外科病院の、院長の息子だったからです。Bは家業を
継がず、地元、福岡の天神で、花屋を経営していました。生きていれば、
今年30歳でした。また、BとAは、同性愛(薔薇)の関係だったと、周辺
住民の間で、噂になった様です。Bには、兄と姉がいました。兄は家業を
継ぎ、現在、C外科病院の副院長となっています。そして姉は、十数年
前に結婚し、神戸に転居しました。この姉が「酒鬼薔薇聖斗」の母親D
です。つまり、Bは「酒鬼薔薇聖斗」の叔父だったわけです。Dは、よく家族連れで、福岡に帰省していたので、「酒鬼薔薇聖斗」は、Bを「花屋(薔薇)のお兄ちゃん」といって、
慕っていたとしても、不思議ではありません。「祖母の死をきっかけに、人の死に興味を持った」というのは、「酒鬼薔薇聖斗」の嘘です。信頼していたBが、殺人を犯し、自殺
したという事実が、真一郎へ「裏切られた」というトラウマを与え、「酒鬼薔薇聖斗」が生まれたことを隠す為の。また、「酒鬼薔薇聖斗」の親、特にDに、過失責任があることは
明らかです。現在、両親は、福岡の高級住宅街、早良区百道へ、密かに転居し、平然と生活しています。「酒鬼薔薇聖斗」事件に関して、「今でも、あの子があんなことをする
なんて、信じられない」と臆面もなくDは、知人へ話している様です。「問題児に、屈折した家庭環境あり」とは、正にこのことでしょう。
真一郎。1982年生まれ。
コレクション:「北斗の拳」全巻。「瑪羅門の家族」全巻。サバイバルナイフ十数本。ホラービデオ十数本。首のない人形。瓶詰めの猫の舌。
趣味:スケボー。マウンテンバイク。ホラービデオ。格闘ゲーム。百人一首。卓球。自動車。動物虐待。殺人。
得意な科目:社会科。暗記が得意。
好きな言葉:ゲーム。復讐。死体。死ね。殺す。注目。酒鬼薔薇聖斗。ハサミ。存在。ボク。人の痛み。野菜。二度殺す。
嫌いな言葉:学校。先生。透明。オニバラ。義務教育。幼稚。踏む。家族構成:長男。両親と弟二人。


●栃木県警の孝昭警部補の息子・克彦=67日間集団リンチ殺人の首謀者(転載)

新潟の少女監禁事件や埼玉県桶川のストーカー殺人事件で、警察の威信はすでに地に堕ちているが、今度は栃木県警の不祥事
である。19歳の少年が中学校の同級生3人に拉致、監禁、恐喝され、2カ月にわたって毎日のようにリンチを受けた挙げ句、昨年
暮れ殺害されるという事件があった。その間、息子の異変に気づいた両親が、再三警察に訴えたにもかかわらず、警察はまったく
取り合わず、殺害のきっかけを与えるような失態を演じていたのだ。しかも、主犯の少年は栃木県警の警部補の次男。殺された少年
より身内を庇ったと言われても仕方のない状況なのだ。昨年12月2日に殺害された正和さんは、栃木県黒羽町で理容店を営む光男
さん(49)の長男で、地元の高校を卒業後、日産自動車栃木工場に勤めていた。次の3人が、正和さんに凄惨なリンチを加え、700
万円もの借金をさせて自分たちの遊興費にあて、最後には正和さんをネクタイで絞め殺してコンクリート詰めにした犯人である。主犯
格の克彦は、栃木県警の孝昭警部補の次男で、中学卒業後ビジネス学校に入るが、ほどなく中退。一時とび職をしていたこともある
けれど、実際の顔は札付きのワル。傷害や窃盗で保護観察処分を受けたことがあり、警官の父親ですら「殺してやりたい」と言うほど
のワルなのである。従犯の昭博は、正和さんと同じ日産栃木工場に同期入社。といっても、こちらも高校時代に暴走族に加わり、
業務上過失傷害の前歴がある。博紀は昭博と同じ暴走族のメンバーで、県内の私立高校を中退後、克彦と一緒にとび職をしていた。
昭博と会社の同僚で、しかもおとなしい性格だったことが、正和さんにとっては不幸としか言いようがなかった。そもそもは昭博と
博紀が克彦から金を巻き上げられていたのだが、二人が「もう金はない」と訴えたところ、克彦が「金を作れる奴を連れてこい」と
命令し、昭博が同僚の正和さんの名前を挙げたのだ。3人は昨年9月29日、工場近くのコンビニに正和さんを呼び出して、「昭博が
暴力団の車と衝突事故を起こし、修理代を要求されている」と、嘘をついて正和さんを拉致。7万円を口座から引き出させ、翌日
サラ金から15万円、20万円と借りさせ、さらに同僚のところに正和さんを行かせて、同僚名義で20万円借りさせている。新しい
金ヅルを手に入れた克彦らは、自分たちが遊ぶ金がなくなると正和さんに友人の元へ借金に行かせ、宇都宮市内のラブホテルや
都内渋谷のホテルを転々としていたのだ。そして、金ヅルが逃げないように常に監視するとともに、連日リンチを加えていた。まず、
正和さんを丸坊主にした上、眉を剃り落とし、顔や腹を殴る蹴るの暴行を加えていた。そして、暴行は“熱湯コマーシャル”
“火炎放射器”と犯人が名付けた凄惨なリンチへとエスカレートしていった。 熱湯コマーシャルというのは、正和さんを裸にして
シャワーの温度を最高温度にして浴びせかけるというもの。熱湯を掛けられ「あちあち」と浴室内を逃げ回る姿を面白がって見ていたのだ。殺虫スプレーにライターで火を
つけて火炎で焼くのが火炎放射器というリンチ。正和さんは大声で泣き叫び、苦悶の表情でのたうち回ったという。それを面白がって連日していたのだから、とても人間の
やることとは思えない。10月末に熱湯シャワーを浴びせられた際、正和さんは逃げようとしたことがあったが、彼を捕まえた3人はさらに熱湯を掛けて「逃げるからそんな
目に遭うんだ。逃げたりしたらますます痛い目に遭うからな」と脅したのだ。「あなたの息子が悪い」寮生活をしていた正和さんが無断欠勤を続け、実家にも帰って来ない
となると、何かあったのでは、と両親が心配するのは当然のことだろう。10月18日、拉致されて20日目に母親の洋子さん(48)と日産の上司3人が石橋署へ相談に
訪れる。「会社の方の勧めもあって石橋署にお願いしたんですが、今思うとこの選択が間違っていたのかもしれません」と、父親の光男さんは吐き捨てるようにいう。
「石橋署の2階で生活安全課の巡査部長が対応に出てきたので“息子が帰って来ない。友人から金を借りまくっている”と伝えたのに、家出人捜索届を出してくれという
ことで帰ってきました。翌日、私も心配になって妻と一緒に石橋署に行って、いろいろ刑事さんに話したけれども、正和を単なる家出人としか考えていないんですよ。逆に
“お宅の息子さんが悪いんじゃないの。仲間に金を分け与えて、面白おかしく遊んでるんだろう。警察は事件にならないと動かないんだよ”とまで言われてしまった。その
時は頭が真っ白になりましたよ」10月22日、再度警察に足を運んだところ、担当の巡査部長の第一声は「今日は何しにきたのか」と、あからさまにうるさいという態度を
示したそうだ。そのうえ「憶測でものを言うな。金を借りているのはあんたの倅だ。もしかしたら倅は麻薬をやっているんじゃないか」とまで言ってのけたという。頼みにして
いた警察に見放された両親は独力で息子を捜し出そうと、正和さんが金を借りた先を回り、あるいは金を借りに行きそうな中学、高校の同級生に電話を掛けた。そのうち
一人のところに正和さんが金を返しに来ることを掴んだ光男さんは、その同級生のアパート近くから一月振りに正和さんの姿を目にした。車でやってきた正和さんは右手の
肘から指の付け根まで包帯を巻き、頬に新しい殴られたような傷があったという。光男さんが続ける。「正和の友人が逆恨みが怖いからというので、飛び出して正和を連れ
帰ることは断腸の思いで堪えました。ただし、息子が乗せられていた車のナンバーを警察に照会したところ、博紀の父親のものだと分かったんです。それから昭博の存在
も判明しました。ナンバーを押さえれば、後は警察が捜してくれると思っていたからぐっと堪えたのに、ナンバーを照会しても警察は動いてくれませんでした」一方、克彦ら
のリンチは11月に入っても連日行われ、90度の熱湯を正和さんに掛けたり、その後を木の靴べらで殴りつけた。正和さんの火傷は表皮がはげてなくなり、内部から膿が
出ている状態だったようで、法廷での克彦の証言によると「正和さんが火傷の膿で水浸しになっていた」という。そんな彼に3人は執拗な暴行を加え続けて、人前に出すの
は限界と感じるほど、正和さんは変わり果てた姿になっていたのだ。そのためか、11月半ばから両親の元に正和さんから度々電話が入るようになる。もちろん金の無心
の電話だ。「仙台にいる。ある人に30万円明日までに返さなければならないから銀行に振り込め」と、最後は大声で怒鳴ったという。逼迫した正和さんの電話はさらに
頻繁になり、両親も振り込まざるを得なかった。だが、振り込んだ金を引出しに現れた正和さんの姿が、防犯ビデオに捉えられていたのである。「11月25日に銀行から
電話があり“お父さんが振り込んだお金は東京の丸の内支店で引き出されています。防犯ビデオに写った息子さんの顔には、明らかに分かるほどの火傷があるそうです。
後ろには男たちがついていました。いつでもビデオを証拠として提出するので、早く警察にご相談ください”と言われました」そして、11月30日、両親は石橋署に
向かった。事件にならなければ動けない、と重い腰をあげなかった警察も、ビデオを見れば事件に巻き込まれたと分かる。父親ならずとも、誰もがそう思うところなのに、
警察の対応は呆れるばかり。「防犯ビデオを取り寄せるには、裁判所の許可が必要なんだ。事件にもなっていないのに、防犯ビデオなど取り寄せられない」と、撥ね
つけたのだ。「正和がただの家出人ではなくて、何者かに連れ去られ火傷まで負っている、その動かぬ証拠が見つかったんですよ。これが事件でなくて、何が事件と
いうのですか」と、光男さんは怒りを隠さない。そして、警察署にいた時、正和さんから父親の携帯に金の無心の電話が入った。「とっさの思いつきで携帯を刑事さんに
渡したんです。車のナンバーでも動かない。ビデオも駄目。だから、刑事さんに電話に出てもらって息子が拉致されていることを分かって欲しいという必死な気持ちで
電話を渡したんです」受け取って刑事は「正和か、今どこにいるんだ。早く帰って来いよ」と言った後、「石橋だ、石橋の警察だ」と答えたところ電話が切れたのだ。この
軽率な一言で、克彦たちに両親が警察に相談していることが明らかになってしまったのだ。この2日後、事件は最悪の結末を迎える。12月2日午後2時45分、同県市
貝町の山林で正和さんの首をネクタイで絞めて殺したのだ。首を絞めたのは梅沢と村上で、主犯の克彦は車の助手席で見ていたという。そして、遺体をコンクリート
詰めにして、市内のホテルに着くと「15年は逃げきってやろう。死体が見つからなければ、迷宮入りだ」と、克彦の音頭でビールで乾杯したのだ。殺人の時効は15年。
正和さんから金をむしり取り、玩具のように散々なぶりものにして、身が危うくなると虫けらのように殺して、逃げきってやると乾杯する。したたかというよりも、そのワル
振りには舌を巻く。克彦ら3人は途中から犯行に加わった都立高校生(16)が4日、警視庁三田署に自首したことから、翌5日に逮捕されたのだ。拉致から67日目、
正和さんが借りた金は約720万円に上る。事件の経過を見れば、正和さんは警察に見殺しにされたとしか言いようがないだろう。10月18日に母親が石橋署に相談に
行って以来、何度も警察は動くタイミングがあったはずである。少なくとも、なぜ博紀の車を手配しなかったのか、どうして防犯ビデオを取り寄せなかったのか。
栃木県警は事件解決後数時間で「捜査に問題はなかった」と言い切った。が、マスコミの追及を受けて「もう一度調査してみる」ということになったのを見ても、いかに
対応がお粗末かわかるだろう。本誌の取材に対しても栃木県警は「現在調査中」の一点張り。そこで克彦の父親である孝昭警部補に直接話を聞いたところ、被害者や
遺族に対する謝罪の言葉が出てくるどころか、自分が被害者のような口振りなのである。「何でこういうことになっちゃったのか・・・。こっちも辛いし、ショックを受けて
いる。本当に疲れているんです。勘弁して下さい。あなたはこちらの気持ちが分かるんですか。飼っている猫が死んだら、育てている花が枯れたら悲しいでしょう。正和
さんのご両親に対しては何も言えません。その辺りの気持ちは弁護士に聞いてください」(何も言えないということは、つまり詫びる気はないということ、か?)
孝昭警部補は光男さん夫妻に1300万円で示談の申し入れをしているが、ことは金で済む問題ではないだろう。光男さんは最後にこう訴える。「12月4日に地元の
警察幹部と話をしたんですが“お宅が息子さんを可愛いと思うように、警察も身内が可愛いんだよ”とまで言われました。つまり克彦の父親が警察官だから、それに
配慮して事件としては扱えないというのですかね。後日、この幹部はそういう意味ではないと謝罪してきましたが、警察は人を助けてくれないと思った瞬間でした」
栃木県警はこの叫びにどう応えるつもりなのだろうか。そもそも今どき、自動車運転の過失で人を即死させてしまっても、1億円の負担を背負う時代なのである。それ
を1300万円だと〜?ふざけているとしか思えない。続報。克彦には無期懲役の判決が下されました。裁判を傍聴した人から提供された情報をご紹介します。
「ふてぶてしい態度で肩を揺らしながら、傍聴席を睨み付けた・・・」「あくびもしてたみたいだよ〜」「返事も「はいはい」とふたつ返事。」「イスにふんぞりかえってもいた
らしい・・・」反省の色なし。無期懲役といっても現実には10年もすればシャバに出てくるかもしれません。それからもさらに社会的制裁を加える必要があります。
2000年5月現在、孝昭警部補は、相変わらずのうのうと、栃木県警本部に勤務しているそうです。克彦はこの事件以前からさんざん非行を重ねてきましたが、
不思議なことに仲間が警察に捕まってもこいつだけは捕まらなかったそうです。なぜでしょうか?さらにまたこいつは、無期懲役判決を不服として控訴したそうです。
一体どういう神経をしているのでしょうか?


●東京都足立区女子高生監禁リンチコンクリート殺人事件(1990年5月21日の判決文より、転載らしい)

被告人らは、犯行当日の1989年1月4日午後8時ごろから同10時までの間、約2時間にわたり、被害者の脇腹部、 脚部等を多数回にわたって手拳で殴打し、更に
長さ約20センチメートル、直径2センチメートルの蝋燭のとけた蝋を、被害者の顔面にたらしたうえ、短くなった蝋燭をその両眼瞼に立て、あるいは500cc用パックに
入った尿を強引に飲ませるなどし、また倒れている被害者を引き起こしては手拳で顔面を殴打し、あるいは顔面、腹部、大腿部を足蹴にし、被害者が鼻血をだし、
火傷部分から血濃がでるや、手に血などがつくのをいやがり、ビニール袋で手を包んだうえ、再び数十回にわたり顔面、腹部を手拳で殴打して転倒させ、顔面を足蹴
にし、引き起こしては顔面、腹部を手拳で殴打するなどの暴行をくわえ、更に重さ約1.6キログラムの鉄球付き棒で大腿部を数十回にわたって殴打し・・・「なんでも
するから家に返して」と必死に哀願するにも関わらず、全裸にして踊らせたり、自慰を強要し、直径3センチメートルの鉄棒や飲料水オロナミンCのびんを陰部に挿入
したり、陰毛をそり、足首をライターの火で焼いて火傷を負わせたり、あるいは再三にわたり、無理やりシンナーを吸引させるなどの残虐非道の行為を繰り返した。

1988年
9月頃
家庭内暴力で両親が立ち入れない聖域となった伸治の部屋は、9月頃から、中学時代の先輩や後輩が集まる格好のたまり場となった。
1988年
10月中旬
裕史が運転する車に譲と伸治、それに伸治の中学時代の同級生の4人が乗り、自転車に乗った制服姿の女子高校生に対して「道を教えて」と声をかけた後、ナイフで脅し、ホテルで輪姦。
1988年
10月20日頃
裕史が運転する車に譲と伸治が乗り、裕史の顔見知りの女子高生をホテルに連れ込んで、強姦。
1988年
10月25日
裕史と譲でひったくりで12万円を稼ぐ。
1988年
11月8日
裕史が運転する車に譲と伸治が乗り、足立区内で自転車で帰宅中の19才の女子会社員を車に連れ込み、ホテルで輪姦。
1988年
11月25日
裕史が「ひったくりに行くぞ」と伸治を誘い、バイクで出発。午後8時すぎ、自転車に乗っている被害者を見ると、裕史は、伸治に「あの女、蹴れ。あとはうまくやるから」と命令した。伸治は、バイクで女子高生に近づき、左足で女子高生の右腰を思いっきり蹴って、角を曲がり様子を見ていた。バランスを失った女子高生は自転車に乗ったまま転倒。溝に落ちた。そこへ裕史が近づき「大丈夫ですか」と声をかけ、助け起こすと「あいつは気違いだ。おれも脅された。危ないから送っていってやる」と声をかけた。裕史は、女子高生を近くにある倉庫の暗がりで「おれはヤクザの幹部だ。おまえはヤクザから狙われている。セックスさせれば許してやる」と脅しホテルに連れて行って強姦。
1988年
11月26日
午前1時過ぎ。「ヤクザが来るぞ」と被害者を騙しながら伸治の部屋に連れ込む。
1988年
11月28日
伸治の部屋で泰史、伸治の中学時代の友達2人(高次か?)が、被害者を輪姦。伸治は緊張してできなかった。
1988年
11月30日
裕史は、被害者の家から捜索願いがだされないように、被害者を連れ出すと、近くの公衆電話から、母親と親友に電話をさせている。この時、被害者は「友達の家にいるから、捜索願いはださないで」と、裕史に言わされている。
1988年
11月末某日
午後9時頃。伸治の母親ます子が被害者と自宅で会う。ます子が被害者に「遅いから帰りなさい」と言ったが、そのまま2階にあがる。
1988年
12月初旬
伸治の母親ます子が2階にあがり、泰史と一緒にいた被害者に対して「どうしてここにいるか」を尋ねるが、被害者は答えず。翌日午後7時過ぎ。ます子が伸治の部屋を覗くと被害者と譲がいたので、もう一度、「すぐ帰りなさい。お父さん、お母さんが心配しているから」と言ったのだが、被害者は動かなかった。(脅されていて動けなかった)某日午後4時頃。少年達が夜遊びに疲れて、伸治の家で昼寝をしていたすきに、被害者は、2階から1階の居間に降りて110番したが、そのことを裕史に発見され、暴行を受ける。警察からの逆探知は、裕史が出て「何でもない。間違いです」と返事をした。被害者の行為を裏切られたと感じた少年達は、以後、被害者に対して顔面を殴ったり、足首にライターのオイルをかけて燃やすというリンチを繰り返し行うようになった。これらによってできた怪我などにより、少年達はますます、被害者を解放できなくなるとともに、火傷が化膿して放つ異臭により、被害者を疎んじるようになり、その処分に困るようになった。某日。裕史が譲、伸治、泰史を連れて、裕史の所属する暴力団の上部団体の忘年会に出席。裕史は組員達に「会長が自分で、譲が組織本部長。伸治は事務局長」と紹介。この頃からシンナーを売りだす。
1988年
12月中旬
被害者を輪姦した伸治の中学時代の友人(高次か?)に対して、些細なことから裕史、譲、伸治でリンチを加え、3週間以上入院する大怪我をさせた。
1988年
1月4日
午前6時30分。裕史、譲、伸治、泰史で被害者に対してリンチを始めた。顔面にろうそくをたらしたり、次々と顔面を殴り、被害者は血だらけの状態となった。更に1.7キロもある鉄製のアレイを裕史が持ち出し、泰史が被害者の腹に落とした。リンチが終わったのが午前10時頃で、その後、被害者が逃げないように足をガムテープでぐるぐる巻きにすると、4人でサウナに行った。裕史は後に「ひょっとしたら危ないんじゃないか、死んでしまうんじゃないかという気持ちが出てきたと思うんですが、鉄の棒で殴っても動かないんで」と述べている。
1989年
1月5日
昼過ぎ。伸治の兄から譲に「被害者の様子がおかしい」と電話がかかり、裕史、譲、伸治で駆けつけてみると、被害者は敷きっぱなしの布団で冷たくなっていた。裕史は後に「”じゃあ、どうする”、”捨てよう”ということになって、自分が劇画を読んでいて、ドラム缶の中にコンクリートを流し込んで、海に捨ちゃうという場面を思い出して、そのことがとっさに浮かんで、自分、前にセメントとか、そういう会社に勤めていたんで、作り方もわかるので、ドラム缶の中に捨てようということになりました」と述べている。バックに詰め込んだ遺体は、裕史の家の前で、3人でドラム缶に入れ、コンクリートを流し込んだ。近くの川に捨てようとしたが、譲が「家が近いので怖い。化けてでるかもしれない」と反対して、東京湾に捨てることにした。裕史が借りてきたワゴン車を運転して、東京湾の埋め立て地まで行ったが、適当な場所がなく、道路脇の草むらに捨てた。
1989年
1月23日
1988年11月8日に犯した強姦により、裕史らが逮捕される。逮捕後の捕り調べでコンクリート殺人を自供。
現在 主犯の裕史は、懲役20年の刑で服役中。副犯の譲は、既に刑務所から出所。犯行現場の提供者の伸治は、出所したかどうかは不明。泰史は、少年院でいじめにあい、引きこもり中。裕史、譲、伸治からささいなことでリンチにあった高次は、地元スナックでこの事件のことを、おもしろおかしく語っている。


●西鉄バスジャック事件(転載)

2000年5月3日。GWの真っ只中、佐賀発西鉄高速バスが、17歳の少年にジャックされた。
車中で、元小学校女性教諭(68)の首を深く刺し殺害。幼女の首に、刃渡り30cm余りの包丁を突き
つけ、ほくそ笑む。少年はなぜ、凶行に及んだのか?その軌跡を辿る。少年の家族構成は、機械販売
会社に勤める父親、保健婦の母親、妹と少年の4人家族。「お前達は、家も建てられないのか!」
4年前、当時まだ中学生だった少年に、そう迫られて、両親が買ったという二階建ての一軒家は、
まるで人目を避ける様に、住宅区画の奥にあった。小学生になるまでの少年は、ごく普通だった。
地区のお祭りで、はっぴ姿で妹と共に、楽しそうにはしゃいでいた、と近所の住人は語る。道ですれ
違った時は、明るく挨拶していたという。父親も、子供会の会長を務めるなど人望があり、母親の評判
もよく、休日にはアウトドアへ家族で出かける、仲のよい理想の家族だった、と近所の住民は語る。
小学生になった少年は、運動は苦手だったが、勉強は得意だった。しかし、小柄でまじめだった
せいか、からかわれ易かった。小学4年生になると、服に犬の糞をつけられたり、漫画を同級生にとり
あげられるなどのいじめを受けるようになった。「何もしてないのに、どうして僕はいじめられるの?」
少年にうちあけられた母親が、少年をいじめた少年達の親へ注意したことで、いじめはエスカレート
していった。しかし、小学校の卒業文集には、几帳面な字で、こう書いている。「責任感が強くなり、
自分も色々な面で、成長したなぁと思います。僕は虫に興味があるので、大人になったら、虫の研究
がしたいです」その卒業文集に両親は、「おちつきのある、几帳面な子」と彼を評価し、「これからも
色々なことがあるでしょうが、柔軟性と強さをもって、前向きに進んで下さい。いつも見守っている
お父さんとお母さんがいることを忘れないで」と書いた。少年は、中学生になると、クラスにうまく溶け
込めず、自分の殻に閉じこもるようになる。あいかわらず、運動はできないが、勉強はできたようだ。テストで一番になると、同級生に自慢するようなこともあった。
そんな一面が、いじめの原因ともなっていた。「ガリ勉!」「運動音痴!」と同級生にからかわれた少年は、突然奇声を上げて、椅子を投げつけた。同級生に筆箱を
落とされた時も、シャーペンを振りかざし、顔を真っ赤にして、「拾え!」と絶叫した。几帳面で、冗談も理解できず、すぐむきになって怒る少年は、同級生達の格好の
いじめの的になっていく。そして、少年の変質が始まる。少年は、飼っていたハムスターの尻尾を持って、逆さ吊りにし、ハムスターがもがき苦しむさまを楽しんで
いた。「こいつを、2階の窓から落としたら、血を吐いたよ」薄笑いを浮かべながら話す少年を見て、同級生は背筋が凍りついた。カッターナイフで、制服をズタズタに
切り裂かれ、無言で帰宅した少年を心配した母親が、原因を担任教諭へ尋ねた。「いじめではない。少年が先に手を出した」担任教諭は答えた。「今までの性格が
一変したかの様に、勉強への意欲を失い、家庭内暴力が始まりました。原因となっていたいじめに対処する様に、幾度となく、担任教諭へ要請しましたが、無視
されました」母親は、後日語っている。そして、中学校時代の終焉を告げる、象徴的な事件が起きた。「みんなやるんだから、お前も飛び降りろ!」昼休みに、
少年が教室そばの非常階段に行くと、同級生達が少年を取り囲んで脅した。彼らは次々に、高さ約3メートルの踊り場から、飛び降りていく。しかし、運動神経の
ない少年は躊躇した。「意気地なし」同級生達は、少年を嘲笑した。少年を挑発する為に、同級生は少年の筆箱を奪って、「飛び降りたら、返してやるよ」といった。
少年は嫌々ながら、踊り場の手すりに腰をかけ、足から飛び降りた。しかし、同級生達の様にうまく着地できず、尻餅をついてしまった。救急車で病院へ運ばれ、
腰が圧迫骨折していたので、即入院し、2ヶ月間絶対安静となった。打ち所がずれていたら、下半身麻痺になるところだった。卒業1ヶ月前のこの事件により、
少年の中学生活は、唐突に終わった。担任教諭は、少年の両親へ謝罪したが、後日、学校側は、いじめが原因ではないと回答した。そして、病室で高校受験を
迎えた。少年は、県内でも有数の進学校を志望していたが、少年の成績では明らかに無理であった為、担任教諭の勧めもあり、2番目の志望校を受験することに
なった。高校には合格したが、中学の卒業式も病室で迎えた。少年は、中学の卒業文集に、「僕が3年間で印象に残った出来事は、体育大会です。なぜなら
クラスの人々と一緒に過ごせたので、楽しかったからです」10年後の夢の欄に「不明」クラスの寄せ書きに「忍耐」と書いている。(続く)


●JR東海名古屋バスジャック事件

犯人は山口県宇部市立藤山中学二年の利重司(とししげつかさ)君。小学6年の時、野球部のキャプテン。中学1年まで吹奏楽部に在籍。クラスメートのインタビューでは目立ちたがり屋、中学になってから変わったとのこと。事件直前、彼女にふられる。
http://chugoku.machi.to/bbs/read.pl?BBS=cyugoku&KEY=1202004297&START=525&END=525
<バスジャック>男は山口の中2男子 愛知県警逮捕
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080717-00000008-mai-soci


●大阪教育大付属池田小学校事件

「英雄」
宅間守の遺言
「わしが殺したガキどもは、わしの自殺の為の踏み台の為に生きていたんやな!ほんま、感謝しとる。
あのガキが8人死んでくれたから、俺が死ねるんやから 感謝せなあかん!死んでくれてありがとう!!
でも、死刑になるだけやったら3人で十分やったな。残りの5人はおまけで感謝しといたる!」
・・・どよめく室内。裁判長が退廷を命じる・・・
宅間(引きずられなから)
「おい、くそガキの親!おまえらのガキの8人分の命はワシ一人を殺して終わりの程度の
価値やったんやぞ!エエ学校に行かせて偉そうにしとったから死んだんや! ガキどもが死んだ原因は
おまえらあるんや!せいぜい一生反省せいよ! あの世でもおまえらの子供しばき倒したるからな!
あははははは!あははは!こらおもろい!」
・・・どよめく室内。退廷・・・

5分ほど後に、判決文が読まれた。
あんな酷い親父の息子が屈折するのはあたりまえだ。今頃、息子の獄中日記がいくらで売れるか考えてほくそえんでいるだろう。
テロ朝によると、宅間の獄中日記は放送できないほど過激らしい。ぜひ出版してくれ>ダメ親父
訴訟ビジネス
成功例
「宅間守事件」
既に遺族には4億払われ更に1億。刑事判決もでないうちに、金目当てで無関係な国を民事訴追した遺族
金目当てでなければ受け取った賠償金は寄付するよね?無関係な国から4億せしめてなお、宅間へ罵詈雑言を
放つ遺族のほうがむしろヒール。そんな遺族に脅されて判決を早くしたり、和解に応じる国もだらしない。
最高裁まで争えよ。4億も国からゆすった守銭奴エリート遺族を罵る、英雄宅間の遺言が聞きたかった。
被害者が公立愚民の子供だったら、高額賠償を裁判所が認め国が和解に応じることもなかったし、
判決が異例の早さにもならなかった。「宮崎勤事件」の被害者の親は、国から賠償金などもらっていない。
そのうち遺族は、宅間の獄中日記の印税還元まで要求するだろう。公立愚民の子供が被害者だったら…
守君と真季たん 守君 「がおーっ」
真季たん「(尻を振って)犯るなら私にしなさい!」
守君 「先生。いいの?」
真季たん「困った子。早くしなさい」
守君 「先生。入れるよ?」
真季たん「他の子がみてるでしょ。恥ずかしいから、早くしなさい」
守君 「入ったよ。とっても気持ちいよぉ。先生」
真季たん「もっと奥まで突き上げて。あっあっ。そうよ。やればできるじゃない」
守君 「気持ちよすぎて、もぉイっちゃいそうだよぉ。先生」
真季たん「イク時は一緒よ。男の子でしょ。もう少し我慢しなさい」
守君 「もう我慢できないよぉ。先生」
真季たん「呆れた子。チャイムまで待てないの?しょうがないわね。早く逝きなさい」

振り向いた真季たんは、彫刻刃で守君の心臓をえぐった。
「なんだかスッキリしたよ。みんなを殺すのやめるよ。先生」
守君の断末魔は、真季たんへ届かなかった。

これ位の勇気が真季たんにあれば、こんなに非難されることもなかっただろう。


●本村君の事件

福田も本村も死ねば丸く収まるのだが。福田は言わずもがな。本村は遺族ネタを飯の種にしているプロ市民だし
死刑否定派裁判官のせいで10年ちょっと出てくる鬼畜と、事件後まともに働かないで遺族ネタで遊び暮らす屑
目糞鼻糞のいい例。鬼畜が幼姦マンになっていないといいが。正直、人権否定派でありながら、講演を仕事にする
プロ市民のような活動を続けている本村に同情はできない。本村よ。お前の私怨の為に、迷惑を被っている人達が
いることを知らんのか。それほど恨みが深いなら、自分で福田を処刑しろや。被害者の主張だけが正義であると
ゴネる本村こそ、処刑されるべきだな。コメンテーター、講演会の出演報酬が目当てなのかもしれんが
【映画】山口母子殺害事件を元にした映画「天国からのラブレター」で本村さんと俳優陣が顔合わせ
http://news18.2ch.net/test/read.cgi/mnewsplus/1151014996/
コンクリートの二の舞になるから強姦シーンは省略だろうな。いっそのこと鬼畜AVにしてくれないと
本村監修のお涙頂戴映画になるな。で本村が得る映画化権料はいくらなの?
福田の父親が映画化権を独占するなと本村を訴えそう

21人の鬼畜弁護士
1列目
16969 安田 好弘 やすだ よしひろ 第二東京 港合同法律事務所
22102 足立 修一 あだち しゅういち 広島 足立修一法律事務所
25232 村上 満宏 むらかみ みちひろ 愛知県 名古屋法律事務所
21752 新谷 桂 しんや けい 第二東京 リベルテ法律事務所
28490 今枝 仁 いまえだ じん 広島 まこと法律事務所
20433 新川 登茂宣 しんかわ とものり 広島 新川法律事務所
22443 山崎 吉男 やまさき よしお 福岡県 大濠総合法律事務所天神オフィス
2列目
17415 大河内 秀明 おおこうち ひであき 横浜 横浜シルク法律事務所
18314 小林 修 こばやし おさむ 愛知県 小林修法律事務所
25532 河井 匡秀 かわい まさひで 東京 河井匡秀法律事務所
15613 本田 兆司 ほんだ ちょうじ 広島 桂・本田法律事務所
23111 松井 武 まつい たけし 第二東京 港合同法律事務所
16480 山田 延廣 やまだ のぶひろ 広島
29566 井上 明彦 いのうえ あきひこ 広島 広島法律事務所
3列目
14059 北潟谷 仁 きたがたや ひとし 札幌 北潟谷法律事務所
20532 湯山 孝弘 ゆやま たかひろ 第一東京 湯山法律事務所
18392 舟木 友比古 ふなき ともひこ 仙台 舟木法律事務所
28951 岩井 信 いわい まこと 第二東京 優理総合法律事務所
17160 中道 武美 なかみち たけよし 大阪 中道法律事務所
15883 岡田 基志 おかだ もとし 福岡県 岡田基志法律事務所
23065 田上 剛 たのうえ つよし 広島 たのうえ法律事務所

●佐々淳行

浅間山荘事件で佐々は警察庁の連絡係で指揮権はなかった

佐々淳行の著書『連合赤軍「あさま山荘」事件』は、その記述をめぐって大きな波紋を
呼んだ。事件解決に当たり警察庁との間で確執があった長野県警関係者から「記述が
不正確で当時の関係者の名誉を傷つけるものだ」との抗議が寄せられた。これらの
ことが影響してか、映画化に際して長野県警の協力を得ることができず、現地撮影を
あきらめ、新潟県上越市を撮影地にしている。 当事者である坂口弘から、彼の短歌を
改変(読点を追加)して引用した点と坂口の名誉を毀損する表現があった点につき、
版元の文芸春秋社とともに訴訟を起こされた。東京高裁の確定判決では、短歌の
改編が著作者人格権の侵害、坂口とは無関係の爆弾事件に関与したかのように印象
付ける記述が名誉毀損に当たると認定し、損害賠償を命じている。 後藤田正晴も同書
に関しては「佐々君は何か記憶違いをしているのかも知れない」とたしなめる主旨の
発言を、また当時現地で実況中継に当たった日本テレビの久能靖も「事実に反する
描写が多々ある」とコメントしている。

●上村遼太事件






  舟橋龍一 044-287-3285 (既に不通)
    〒210-0831 神奈川県川崎市川崎区観音2丁目8−21

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